東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)92号 判決 1980年9月29日
原告 田村道夫
被告 特許庁長官
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
原告は、「特許庁が昭和五一年審判第九五三一号事件について昭和五五年四月九日にした審判を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は主文同旨の判決を求めた。
第二請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和四四年八月一三日名称を「符号動作電気錠」とする発明(以下「本願発明」という。)につき、特許出願をしたところ、昭和五一年七月五日付で拒絶査定があり、右拒絶査定の謄本は、同月二八日原告(特許出願人)代理人井上重三に送達された。そこで、原告は、昭和五一年八月二四日右拒絶査定に対する審判請求書を書留郵便により大船郵便局に差し出したが、右郵便物は社団法人発明協会(以下単に「発明協会」という。)に配達され、同月三〇日発明協会より原告に返送されてきたので、原告は、翌三一日前記審判請求書を再び書留郵便として郵便局に差し出して審判の請求をし、特許庁昭和五一年審判第九五三一号事件として審理されたが、昭和五五年四月九日右審判の請求を却下する旨の審決があり、右審決の謄本は、同月二三日原告に送達された。
二 審決の理由の要点
本願発明の出願日、拒絶査定日及び右拒絶査定の謄本が原告代理人に送達された日は前項に記載のとおりである。したがつて、右拒絶査定に対する審判の請求は、特許法第一二一条第一項により、昭和五一年八月二七日までにされなければならないところ、本件審判の請求は、その後である同月三一日に審判請求書を郵便局に差し出してされたのである。
この点について、審判請求人(原告)は、「請求人は、昭和五一年八月二四日書留速達郵便によつて受取人を特許庁長官として審判請求をしたが、受取人住所を書き損じたため、同月二六日に発明協会に配達され、そこで開封されたのち同月三〇日に請求人の許に返送されたので、同月三一日に本件審判請求をしたのである。このように受取人が特許庁長官であつて住所が異なつている以上、右郵便物は受取人不明のものとして差出人に返却されるべきであり、そのようにされていれば適法な期間内に審判請求ができたのにかかわらず、郵便局側の過失により誤まつて発明協会を経由したために、右期間内にすることができなかつたものであるから、請求人の責に帰することができない。」と主張する。
しかし、昭和五一年八月二四日に特許庁宛に(住所は相違するが)郵送したとする郵便物が審判請求書であると認めるに足りる証拠はなく、また、仮に請求人の主張する事情がすべて事実であるとしても、このような事態を招いた原因は、請求人が郵便物の宛先人住所を誤記したことにあることは明らかであるから、これを請求人の責に帰すべからざる理由と認める余地はない。
よつて、本件審判請求は、法定の期間を経過した後にされた不適法なもので、その欠缺が補正できないものであるから、特許法第一三五条の規定によりこれを却下すべきである。
三 審決の取消事由
原告が、本件審判請求を特許法第一二一条第一項所定の期間内にすることができなかつたのは、次に述べるとおり郵便職員の過失に基因するものであつて、原告の責に帰することのできない理由によるものである。
原告が、拒絶査定に対する審判請求書(本件審判における審判請求書と同一のもの)を書留郵便として昭和五一年八月二四日大船郵便局に差し出したことは、同日付の書留郵便物受領証(甲第九号証)があり、かつ、原告が当日他の郵便物を特許庁宛に郵送していない事実からも明らかである。しかして、原告は、右のとおり送付した審判請求書が発明協会より返送されてきたので同月三一日これを特許庁長官宛に重ねて郵送したものである。ところが、審決は、右審判請求書が同年八月二六日付となつていることから、同月二四日大船郵便局に差し出されたものが本件審判請求書であるとは認められないとするが、審判請求書に八月二六日と記載したのは、タイプ印刷に要する日時を考慮してのことであつて、審判請求書を郵便に付した日を記載したものではない。
原告は、右のとおり同年八月二四日に差し出した郵便物の受取人を特許庁長官としたが受取人の所在地を発明協会のそれと誤つて記載したと思われるので、審判手続においてはそのように主張したが、今となつてはその点もさだかでない。
仮に、発明協会の所在地を誤つて記載したのであれば、同所には、宛名人たる特許庁長官はいないのであるから郵便職員としては、右郵便物を直ちに差出人である原告に返送すべきであり、そうすれば、発明協会を経由するよりも早く原告に返送されていたはずであるから、前記法定の期間内に審判請求をすることができたのである。
第三被告の答弁
一 請求の原因一の事実中原告が昭和五一年八月二四日本件審判請求書を書留郵便により大船郵便局に差し出し、これが発明協会に配達され更に原告に返送されたとの点は知らないが、その余の事実は認める。
二 請求の原因二の事実は認める。
三 同三の主張は争う。
原告が郵便によつて送付した審判請求書が昭和五一年八月二六日以前に発明協会に到着したことは推認できるが、右審判請求書が同月二四日付書留郵便物受領書(甲第九号証)に示されている郵便物の内容とされたものであるということはできない。結局、本件審判の請求は、特許法第一二一条第一項所定の期間を経過した後である同月三一日にされたものであり、この点について、原告の責に帰することができない理由があつたとはいえないから、右審判請求を不適法なものとして却下した審決には違法の点はない。
第四証拠関係<省略>
理由
一 原告のした本願発明に関する特許出願に対し、昭和五一年七月五日付で拒絶査定があり、右拒絶査定の謄本が同月二八日原告代理人井上重三に送達されたことは、当事者間に争いがない。したがつて、右拒絶査定に対する審判の請求は、特許法第一二一条第一項の規定により右査定の謄本の送達のあつた日から三〇日以内、すなわち同年八月二七日以前にしなければならないことは明らかである。
二 ところで、原告は、本件審判請求は、同年八月三一日にしたものであるが、これには原告の責に帰すべからざる事由があつた旨主張するのでこの点について考える。
1 まず、成立に争いのない甲第一号証、第二号証、第五号証ないし第七号証、第九号証ないし第一一号証及び弁論の全趣旨によると、原告は、昭和五一年八月二四日前記拒絶査定に対する審判請求書を内容とする郵便物を大船郵便局に書留郵便として差し出したこと、ところが、原告は、右郵便物の受取人を「特許庁」と記載し、また、受取人の所在地(あて所)を特許庁の所在地ではなく、誤つて発明協会の所在地を記載したために、右郵便物は、同月二六日ころ発明協会に配達されたこと、同協会では、そのころ右郵便物を開封したが、その内容物が審判請求書であつたため、右審判請求書を、「郵便物に当協会の所在地が記載されていたため、審判請求書が当協会へ送付されたが、特許庁宛に送付されたい。」旨及び特許庁の所在地を記載した案内書と共に原告に郵便で返送したこと、原告は同月三〇日ころこれを受領、開封し、右審判請求書を翌三一日改めて特許庁に郵送すべく郵便局に差し出し、右郵便物はその後間もなく特許庁に到達したことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
2 ところで、郵便法及び郵便規則によると、郵便物は原則としてそのあて所に配達すべきものとされ(郵便規則第七三条)、また、受取人に交付することができない郵便物は、これを差出人に還付すべく、この場合には、当該郵便物が速達としたものでも、速達の取扱いをしないこととなつている(郵便法第五二条第一項。なお、郵便規則第九〇条参照。)しかして、前記認定のとおり八月二四日に差し出された郵便物は、その受取人の「あて所」として表示されたところには特許庁が存在しないのであるから、右郵便物は差出人に還付すべく、また、特許庁の所在地と発明協会の所在地とは、さほど離れてはおらず、しかも、郵便職員が特許庁の所在地を了知していないはずはないのであるから、右郵便物はあて所の記載を誤まつたものとして受取人である特許庁に配達するのが適切であつたとする余地もないではない。しかし、郵便職員としては、前述のとおり郵便物はそのあて所に配達するのが原則であり、また、特許庁と発明協会とは一方が官署であり他方が社団法人ではあるが、ともに特許、発明等に関する事務を取扱つている点において多分に関連を有している関係上、前記郵便物の配達に従事した郵便職員としては、右郵便物のあて所として発明協会のそれが明記されていることから、受取人も発明協会であるのに誤つて特許庁と記載したものと判断したうえ、所定の手続を了し(郵便規則第九四条第三号参照)発明協会に配達したものとも考えられ、またそうしたからといつて、右配達を直ちに違法、不当なものということはできない。
他方、原告の側について考えてみるに、そもそも拒絶査定に対する審判の請求をしようとする者は、前述のとおり右査定の謄本の送達のあつた日から三〇日以内にしなければならないことは特許法の明記しているところであるから、右審判の請求をしようとする原告としては、右期間の満了時が数日後に迫つている八月二四日という時期において、郵便に付してこれをするものである以上、その受取人である特許庁長官の所在地(あて所)を正確に記載し、これを誤つて記載した結果それ以外の者に配達されたり又は還付されたりすることのないよう努めなければならないことは当然に負担すべき最少限度の注意義務ともいうべきものであり、また、それまでに、自から本件の特許出願をしかつ特許庁からの拒絶理由の通知や拒絶査定の謄本の送達に接していた原告としては、その所在地を了知しているのであるから、それをすることは極めてたやすいことなのである。
しかるに、本件の審判請求が、前記認定のとおり期間を経過した後にされるにいたつたのは、前述のとおり原告にとつて極めて容易なかつ当然すべき郵便物のあて所の正確な記載を怠り、これを誤つて記載したという、もつぱら原告の不注意な所為に基因していることは明らかであるから、本件は、特許法第一二一条第二項にいうその責に帰することのできない理由により所定の期間内に審判の請求をすることができなかつた場合には当らないと解するのが相当である。
三 なお、原告が昭和五一年八月二四日に差し出した郵便物が、本件に係る審判請求書を内容としたものでありながら、前認定の経緯により、発明協会に配達され、同協会において開封された後、原告に同審判請求書が返送され、改めて、同月三一日これが特許庁長官に郵便に付して提出されたものであるとしても、特許法第一九条の規定による書類提出の効力は、当該郵便物のあて所が、受取人の住所、居所又は事務所等を正確に、少なくとも、これと実質的に同等と解しうる程度に、記載したものである場合において始めて生ずるものと解するのが相当であるから、右記載が存したことを認めえない本件においては、同条の規定により、同月二四日に右審判請求書が特許庁に到達したものとする余地はない。
四 よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条及び民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 荒木秀一 藤井俊彦 清野寛甫)